京・晩夏 [design art museum]
河井寛次郎記念館
京都東山、五条坂の小宇宙
登り釜
作品は2000束の松割木を使い、二昼夜1300度で焼かれる
寛次郎は灰の掛かり具合から、一番手前の焼成室を好んだと言う
河井寛次郎記念館
http://hcn.plala.or.jp/fc211/sagi/
河井寛次郎 Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%B3%E4%BA%95%E5%AF%9B%E6%AC%A1%E9%83%8E
御真言 五条坂にて
http://www.bukkyo.net/tisiki/singon.htm
作品は2000束の松割木を使い、二昼夜1300度で焼かれる
寛次郎は灰の掛かり具合から、一番手前の焼成室を好んだと言う
河井寛次郎記念館
http://hcn.plala.or.jp/fc211/sagi/
河井寛次郎 Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%B3%E4%BA%95%E5%AF%9B%E6%AC%A1%E9%83%8E
御真言 五条坂にて
http://www.bukkyo.net/tisiki/singon.htm
約半世紀、私が見て感じて撮影した「モノ」の写真を載せております。スマホ版が見辛い場合は画面下「PC版を見る」を選択してご覧下さい。著作権放棄はしておらず、無断転載はご遠慮願います。
京都は、賑やかな表面に見える部分と、
奥深い世界と、
両面があるなと思いました。
by manamana (2009-09-16 06:47)
ここは好きで何回も通いました。懐かしいです。
なにもせず、茫然と建物の雰囲気に浸っているだけでも愉しめましたっけ。
そういえば、ここ十年行ってないなあ。
by ナツパパ (2009-09-16 07:51)
やはり建物の随所に趣きが漂っていますよね。
使いこまれた感じもたまりません!
で、今年こそは京の紅葉を見たいものです。(2年連続挫折^^;)
↓現在物色中。(汗)
http://www43.tok2.com/home/kyoto/
by jamayan (2009-09-16 18:32)
こちらの記念館は知りませんでした.京都は広いというか,見るべきものが多すぎて,とても全部を把握しきれません.
御真言は「弁才天」ですね.七回って,どういう意味なんでしょうか.
そろそろ谷保天満宮の例祭も近いですねえ.
by akira isida (2009-09-16 21:46)
> manamanaさん
鰻の寝床と言われる京の町屋は表の顔と内の顔が全く違いますね。
各戸、夫々魅力的な小宇宙が広がっている様で。
(間口が狭い造りは、その幅で税を課していたからだそう)
しかしmanamanaさん、奥様が外国の方だったとは、羨ましい(^^
by gop (2009-09-16 22:10)
> ナツパパさん
ここは何度行っても良いですね、趣味人には一つの理想郷でしょう。
登り釜から煙が出ている頃を見てみたかったです。
by gop (2009-09-16 22:11)
> jamayanさん
こんな家、jamayanさんに建てて頂こうかなぁ(^^
紅葉には早いと思いますが、琵琶湖オフの途中寄って見て下さいな。
by gop (2009-09-16 22:11)
> isidaさん
毎日最低七回唱えないと御利益が無いって事らしく。
http://oshiete.nikkeibp.co.jp/qa3255401.html
基本は定番の三回、七回、二十一回、百八回を一区切りとしますが、
気がすむまで唱えるのも良い、だそうです。
早、秋祭りの季節ですねぇ。
by gop (2009-09-16 22:12)
河井寛次郎は大原美術館で作品を見ました。
浜田庄司やバーナードリーチ、棟方志功の版画と共に
展示されていました。
(柳宗悦が中心となった民芸運動に参加していたとこのとで)
個人的には 浜田庄司より河井のほうが好きです。
そして この登り窯もまたすごいと思いました。
by しゅう (2009-09-16 22:28)
> しゅうさん
大原美術館、離れ(と言うのか)の狭い展示室ですよね。
志功とは随分懇意にされていた様で。
益子の浜田庄司記念館も行きましたが、如何にも陶芸家の屋敷。
こちらの方が人間味と共に美的センスを感じるなぁ。
リーチと言えば、先日1962年の芸術新潮を買って来たのですが、
リーチの寄稿もありました(訳が虫明亜呂無氏になってる)
by gop (2009-09-17 06:53)
ここは行った事おへんけどよろしおますなぁ。
今度行ってみますわぁ。
>その幅で税を課していたから
沖縄では昔「人頭石税」言うて背の高さで税金を科したそうな。
今では「取り易い所から取る」そうで徴税の原則変わってますけどサラリーマンは可愛そうどす。
所で京のウチの間口が狭いのは税金もおますけど外敵から身を守る意味もおしたそうでっせぇ?
京は碁盤の目みたくわかり易い道がぎょうさんおますから攻められやすおしたからなぁ。
ほな失礼しますぅ。
by ポン子(の代理) (2009-09-17 21:15)
> ポン子(代理)さん
CASA BRUTUSに町屋の説明が出ておましたさかいにみとおくれやす。
http://magazineworld.jp/casabrutus/115/read/
P85には寛次郎記念館も、わかりましゃろか?
まぁあんたはんいつもちょかやけど、車の運転たいがいしんきくさいねぇ、
それを言うといけずと思って、へんねしをおこさはるけど。
ほんまは、えげつない事を言うてかんにんどっせ(^^
by gop (2009-09-17 22:16)
寂しい話ですが焼くのは別の場所ですよね。
友達の家の隣にも登り窯があります。
アトリエも多いです。けっこう作品が並んでいます。
きっと、皆さんの行かないところにイノウエは訪れているようです。
17歳までろくろを回していました。
家族は誰も当時の私の焼き物と信じていないようです。
普段、水差しなど使っているのてすが・・・(笑)
by イノウエ (2009-09-19 19:33)
> イノウエさん
昭和30年代、登り窯の煤煙が公害問題化され、五条通に軒を並べていた
清水焼の窯元が山科清水焼団地に移転したのが昭和40年初頭だそうで。
問屋・原料業者まで含めると百数十軒あった様ですね。
http://allabout.co.jp/house/kitchen/closeup/CU20041024A/index2.htm
で、イノウエさんのご実家の方の窯と言えば、丹波焼でしょうか?
しかし油絵に加えて陶芸とは..イノウエさんって一体(@@?
by gop (2009-09-23 15:14)
叔父が画家で陶芸家なので、幼い頃からアトリエで遊んでいました。油絵は叔父さんのアルバイト、70年から75年まで号100円、6号を月一枚ペースで描いていました。ですから手元にあるのは1枚だけなんです。このアルバイトのお金で車の本を買っていました(笑)。
とりあえず、絵画は完売しているので、処分されていなければどこかのご家庭にあると思います。
by イノウエ (2009-09-23 15:32)
> イノウエさん
そんな恵まれた環境でお育ちだったとは。
と言う事は、叔父様の作品として買われたものが、実はイノウエさん作品で
今も何処かのお宅に飾られているかもって事ですか。
クルマ、バイクで無く、そちらの方面に行かれていたら今頃..
by gop (2009-09-23 21:48)
それがですね、ゴーストではなく、私のサインでした。ですから、今でも何処かのご家庭に飾られているのがあれば私の作品なんです。
by イノウエ (2009-09-23 22:53)
> イノウエさん
それは是非お手持ちの作品をアップして頂かないと。
何処かのご家庭の方が見て、名乗りを上げるかもしれませんよ(^^
by gop (2009-09-24 19:22)