昭和十六年「祖父の寫眞機」と「或る隧道」確定編 [写真 カメラ]
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先ず祖父の旅先を調べ撮影時期を想定(呉・佐世保:昭和16年)プリントを高精細で再スキャン、改めてトンネルの詳細を見直してみると、先のトンネルを出た左側に白い欄干の様なもの、右側には二階建て?の建物があり、その先さらにトンネルが続く様にも見える(列車走行中?露出を失敗したのか二回露光しており、暗い方には写っていない)軌間は狭軌(1067mm)単線・馬蹄形トンネルが直線上に連なっている場所。以上を考慮し、出張先の呉〜佐世保間を探索。
すると、以下の鉄道がヒット。
昭和10年(1935)11月9日:
伊佐線の佐世保〜北佐世保間を延伸開業。佐世保の街中に高架橋とトンネルを建設、九州初の市街地高架鉄道となる。三連トンネル、名切隧道 55m・下名切隧道 54m・小佐世保隧道 60m 完成。
昭和11年(1936)10月1日:
昭和16年(1941)1〜2月:祖父 佐世保滞在(接続前、伊佐線は三連トンネル先の北佐世保が終点)
上動画に書き込まれた、昭和16年頃を知る方のコメント(一部抜粋)
非常に懐かしい線路です。1:13:03(花園町橋梁)〜1:13:21(名切隧道・橋梁)の間は思い出のある所です。昭和14年頃 中間辺りに住んでおり、昭和16年 山手国民学校に入学。名切橋梁〜花園町橋梁の線路を歩いて叱られた事もありました。花園町と言えば遊廓街で、夜になると綺麗なお姉さん達が宴会を。子供心に早く大人になりたい願望がありました。父は職業軍人でしたので「海軍橋」を渡り購買部に。鎮守府右手前には木造二階建ての海軍病院があり、母は昭和12年他界しました。
さらにメモの地区町名を調べてみると「松浦町」https://maps.app.goo.gl/3rdRBZDKrYm2yp3K6
祖父が宿泊した中村旅館も同じく松浦町(佐世保海軍工廠出張編参照)恐らく旅館の場所は海軍橋の右斜め下に書かれている四角の角地。とすると中村旅館から三連トンネルまでは僅か1〜2kmと近く歩いて行ける距離にある。因みにメモ左端の◎印は佐世保鎮守府庁舎、下の四角は佐世保駅。
最後にGoogle Mapでトンネル・橋梁の位置関係を確認。結果、祖父の写真は小佐世保隧道出口から下名切隧道を撮影したものと考えられる(その先に下名切橋梁〜名切隧道:上の拡大写真)
以下、現在のほぼ同じ場所「松浦鉄道 フォトコンテスト入選作」
しかし何故、祖父はこの高架線の線路上を歩き、トンネルの写真を撮る必要があったのか。わざわざ「ナキリ」とメモしたと言う事は、この場所に行く何らかの理由があった筈。加えて当時の佐世保は要塞地帯に指定されているので、要塞地帯法により鉄道施設の撮影にも許可申請が必要だった。
或る隧道の謎は続く・・
祖父の写真機:CAMERA-Wiki http://camera-wiki.org/wiki/Koilos
プレートホルダーは山下裕次郎商店製。
約半世紀、私が見て感じて撮影した「モノ」の写真を載せております。スマホ版が見辛い場合は画面下「PC版を見る」を選択してご覧下さい。著作権放棄はしておらず、無断転載はご遠慮願います。
盆休み最終日に相応しい大作。お祖父様も孫にここまでして貰って喜んでいる事だろう。ところでこのカメラ、今も使える?
by pogpog (2024-08-18 09:47)
余計な事をしてくれたと言っているかも。
ガラス乾板は勿論フィルムバックも無いので、暗所でブローニーフィルムをカットして装填するしかない。それで撮影は可能な筈だが非常に面倒。
by gop (2024-08-18 14:07)
差所のお写真拝見して「ひょっとして佐世保市内の高架かな」と思いました。詳細な記録を拝見してると、なんだかドキュメンタリー番組のようでワクワクしますね。
by Cedar (2024-08-19 23:57)
> Cedarさん
恐縮です。盆休み祖父の供養も兼ねてトライしてみました。
詳しい方が見れば案外簡単な問題だったのかも知れませんね。今後共ご教授宜しくお願い致します。
by gop (2024-08-20 05:48)
昭和五年伊佐線、楠久(くすく)>東山代>今福の開通記念絵葉書。
https://aucview.aucfan.com/yahoo/o1130297498/
https://www.funbid.com.hk/yahoojp/auctions/item.php?aID=j1102792395
by pogpog (2024-08-20 18:11)
再コメ失礼します。昭和45年春休みに鉄仲間と九州旅の時に、門司港からの夜行列車(というのがあったんです)で佐世保で平戸口行きに乗り換えて発車したら、いきなり市街地を高架とトンネルで抜けていくのが鮮烈な印象でした。そのあと架線も無いここには何度も行っていたのでした。
by Cedar (2024-08-20 19:51)
> pogpogさん
伊佐線は延伸廃止を繰り返しており、年表を読んでも良く分からない。
この図は佐世保鉄道の路線が描かれていて分かり易い、ありがとう。
by gop (2024-08-20 23:43)
> Cedarさん
松浦線も乗られていたのですね。門司発佐世保行き夜行のお話し、祖父は門司で一泊しましたが、当時は関門連絡船に接続した夜行もあり、長崎からは上海行きの日華連絡船に接続していた様です。
https://travel-100years.com/a_199.htm
Cedarさんが乗られた普通夜行はこのサイトの文中にある「ながさき」でしょうか、80年も走り続けたとは凄いですね。
by gop (2024-08-20 23:44)
グランパの戦争〜従軍写真家が遺した1千枚〜
https://www.nhk.jp/p/special/ts/2NY2QQLPM3/episode/te/N3N2Z4X618/
“忌まわしい”過去としても祖父が残したタイムカプセル。家族の戦争体験を調べ、身内の物語として自分との繋がりを知る事は大切。とのこと。
by pogpog (2024-08-25 12:17)
録画鑑賞済。
祖父が写した写真の真実を知りたい気持ちは良く分かるし、ある意味負の遺産を良く公開されたと感心した。写真の持つ力を改めて感じた佳作。
by gop (2024-08-25 16:50)
よく発見なさいましたねえ、すばらしい。
佐世保が要塞地帯で写真ダメ...今でも世界各地に、
同じようなところありますものねえ。
by ナツパパ (2024-09-05 10:15)
> ナツパパさん
7年前、ナツパパさんからもコメント頂いていましたね。
最近は肖像権も騒がれていますから余計気を使わないと>写真ダメ
by gop (2024-09-05 20:24)