1970年 名古屋まつり 花電車・コニー360 [中部 鉄道]
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後続車のスポンサーは日立製作所(意匠は新幹線0系風の特急車両)
この年は四両の花電車を製作、二両づつ二路線で運行(他二両のスポンサーは三共光ソースと青柳ういろう)ただ前年までは六両製作、三両づつ二路線で運行しており、流石に二両では寂しかったのか、翌年から1973年の最終運行まで三両製作、一路線運行となる。
写真は八熊通電停から尾頭橋・水主町方面を望むが、この区間は翌年1971年3月末で廃止。因みに中央ビル屋上のネオンサインは、愛知機械工業(株)の販売系列日産コニー店のもの(上から、コニー360、サニー 1000か?、キャブスター)
愛知機械工業はこの写真を撮影した1970年10月、自社ブランドの軽自動車生産から撤退。コニー店は日産の新型車チェリーの発売に合わせて日産チェリー店に名称変更されたため、この年度末をもってコニーのネオンサインは見納めとなった。
軽四輪トラック「コニー360」のデザインは昭和三十三年(1958)五月、東京の新大久保にあった宮田脩平デザイナーの事務所で始まった。 コニーは「楽しく仕事ができる、明るく、運転のしやすいクルマ」というコンセプトが設定されていた。このためデザインは、親しみやすさ、軽快感、安定感をテーマとして進められたが「軽自動車」という限られたサイズの中でいかにボリューム感を出すかが最大の難問であった。しかも、アイデアスケッチは僅か二週間という限られた時間の中で答を出さなければならなかった。その間、宮田デザイナーは文字通り不眠不休であったという。
当時クルマのデザインはフェンダーの前にヘッドライトを置くのが主流であったが、コニーはそうしたデザインから脱却することで独創性を追求。“カエルの目玉” の愛称で親しまれた特徴的なヘッドライトを持ち、ボンネットのラインを車体の側面まで延ばした当時としては斬新なデザインを完成させた。全長約60cmの5分の1クレイモデルも、僅か二ヵ月という短い期間で製作された。この頃、粘土はメガネケース二個分の大きさ(約100g)で2,000円。粘土を削る道具も宮田デザイナーの手作りであった。
最終的にカラーリングを決定したのは、名古屋の栄であった。カラーリングの異なる数台のコニーを走らせ、街の中でいちばん映えるツートンカラーに決定したのである。
コニーが終了した後、A型サニトラを長く作っていた印象が強い。
https://www.aichikikai.co.jp/club/about/b120.html
サニー1000も作っていた?
by pogpog (2024-10-12 02:30)
会社沿革を見ると、1970年2月「サニートラック」生産開始(初代B20では無く、二代目のB120、翌年1971年2月発売)
https://www.aichikikai.co.jp/company/history.php
サニー(初代B20)はコニー店で扱っていた。以下サイト二枚目の写真、市電日比野~西町の電柱看板に「サニー1000」と「コニー360」
http://www7b.biglobe.ne.jp/~railbus/0245Funa.html
サニーの車名は表向き一般公募キャンペーンで決めているが、ニッサン+コニーでサニーだったとか。
by gop (2024-10-12 07:33)
♪ ボンボンボンととけいがみっつ〜…
名古屋に居たころ、カーラジオから流れるCMソングをよく耳にしました。
今でも流れているのでしょうか…
♪ おおすういろとないろ〜です
by のり (2024-10-12 07:59)
> のりさん
残念ながら2020年3月末で放送終了してしまいました。
https://www.asahi.com/articles/ASN493C1ZN42OIPE00V.html
「ぼんぼんぼ〜んと時計が三つ〜」
https://www.youtube.com/watch?v=5bYK4OJnkyk
「わ〜い3時だ、大須ういろの時間だ〜」
https://www.youtube.com/watch?v=M4XiAj8cOWg
by gop (2024-10-12 09:12)
詳しい解説「委託生産企業の撤退と存立に関する研究」
撤退のケース:愛知機械工業の事例
https://www.jspmi.or.jp/material/file/eri/pdf/kikaikeizaikennkyuu/kikaikeizaikennkyuu_46_1.pdf
宮田先生は最後まで居たのか?
by pogpog (2024-10-12 11:31)
コニー失速の最大の要因:軽乗用車の新規開発に関しては「宮田脩平とグッピー」に詳しく載っている。https://amzn.asia/d/7l1SSva
150はFWD、その前140はRRだが小型サニー1000風のクリーンで好ましいデザイン。宮田さんはコニー全車に関わって1968年に退社されている。
by gop (2024-10-12 14:56)
二年前、弟の宮田亮平氏(元文化庁長官)が日経新聞「私の履歴書」で、修平氏のことも書いていた。以下第二回。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUD042HP0U2A300C2000000/
by pogpog (2024-10-13 01:17)
日経切り抜いて持ってます。
1970年と言えば大阪万博。万博後に開催された東京モーターショーで展示された電気自動車「ニッサン315X」グッピーシャーシで当時愛知機械のデザイナー伊藤稔氏が日産に出向しデザインされたそう。
https://www.allcarindex.com/concept/japan/nissan/315x-a
この日産のパンフ持ってる。
https://www.youtube.com/watch?v=YqUDQnVUD8k
トヨタEX7にベレットMX、高度成長末期まだ夢が残っていた時代。
https://www.youtube.com/watch?v=89gTX1a0p7s
by gop (2024-10-13 06:46)
コニーというクルマ、当然?実車は見たこともないのですが、ピックアップトラックのコニーグッピーは聞いたことがあります。名古屋市内もこのように路面電車が華やかな時代があったのですね。いまの時代
も生き残っていれば低床LRTが走って富山や宇都宮のように時代の最先端モデル都市だったかも。京都もそうですが、市電の路線を全部廃止しなくても良かったのにと思います。
by しゅう (2024-10-13 11:02)
自動車の姿には見覚えがあるのですが、コニーという名前は初めてです。
360ccの軽自動車は本当に小さくて、今見ると危なっかしく感じられ、
でも、今の車よりも軽快ですっきりして見えますね。
名古屋市電は高性能の車輛も多くもっと残ってもよかったのになあ。
愛知岐阜といった自治体が路面電車に冷淡ではありましたが。
by ナツパパ (2024-10-13 16:09)
> しゅうさん
1970年代は京都も名古屋も交通量が増加、市電廃止〜地下鉄整備のピークでしたからね。名古屋はLRTの代わりにSRTを走らせる様ですが、さてどうなることやら。https://kuruma-news.jp/post/730389
by gop (2024-10-13 18:11)
> ナツパパさん
横浜青葉区「こどもの国」にあった乗り物もベースはグッピーで、これも良いデザインでした。ナツパパさんなら乗られた事があるのでは。
https://motorcars.jp/nissan-child-car-datsun-bebii-play20150401
by gop (2024-10-13 18:12)
1970年の花電車カラー写真。夜の広小路通りでは四両編成。
https://map.kotsu.city.nagoya.jp/jp/sp/ABOUT/TRP0004763.htm
2024年の名古屋まつりは今週末の土日。
by pogpog (2024-10-14 09:56)
広小路通りでは全車両揃って走っていたらしい(〜1969年:六両、1970年:四両、1971〜73年:三両)当時名古屋まつり開催期間は町内の祭り含め、五〜六日間だった。この期間だけは親公認で夜遅くまで遊べた。
by gop (2024-10-14 21:18)