「名古屋芸妓」昭和八〜 十年頃(1933 -1935)祖父撮影焼付け
- 名古屋関連
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テレビも無く映画も草創期だった、明治、大正、昭和初期の美人の基準は芸者で、名古屋美人は芸者の世界も圧倒した。
撮影場所:不詳(八事 八勝館?) 撮影 現像 焼付 gop祖父(以下使用機材)http://www.hasshoukan.com/ http://987.blog.so-net.ne.jp/2006-11-05
名古屋美人(なごやびじん)とは、愛知県名古屋市とその周辺、広義では愛知県出身の美人を指す。
明治、大正、昭和にかけ、日本を代表する美人であった。特に明治、大正期には日本一の美人の産地として絶賛された。
明治、大正、昭和にかけ、日本を代表する美人であった。特に明治、大正期には日本一の美人の産地として絶賛された。
(現在はその限りではない。一方、1980年代には一部週刊誌によって名古屋不美人という言葉が作られている)
日本全国を席巻する名古屋美人たち
テレビも無く映画も草創期だった、明治、大正、昭和初期の美人の基準は芸者で、名古屋美人は芸者の世界も圧倒した。
日本全国の花街が名古屋の娘を求め、僅か一年の間に全国に散った名古屋出身の娘は三千五百人程度に達した。しかも、その統計は紹介屋によって登録されたものだけで、未登録の娘は入っていない。
撮影場所:不詳(八事 八勝館?) 撮影 現像 焼付 gop祖父(以下使用機材)
東京の花柳界も名古屋の女性に席巻されていた。
まず二人の美人芸者が、名古屋から東京の花柳界に送りこまれた。
日本全国の男性が名古屋の女性に憧れていた為、「莫大な」数の地元の娘が全国に送りこまれていたが、美女は尽きなかった。東京の花柳界へも「美貌」の女性が次々と集められ送りこまれていく。それは東京の芸者を駆逐していき、やがて東京の花柳界の女性の六割程度が名古屋出身者になった。東京の花柳界では名古屋弁が隆盛をきわめ、名古屋弁が名古屋美人の証として使われていた。
明治、大正期の有名な美人芸者は名古屋出身だった。明治時代の美人論者の一人である青柳有美は、東京の花柳界は名古屋女性の天下になっていると言っている。(以上 参考 Wikiより)
明治、大正期の有名な美人芸者は名古屋出身だった。明治時代の美人論者の一人である青柳有美は、東京の花柳界は名古屋女性の天下になっていると言っている。(以上 参考 Wikiより)
恐るべし「名古屋美人」但し一世紀前の
以下 追加参考
昭和初期 全国花街の芸妓「十七花街を擁する名古屋花柳界の芸妓数が二千五百と最多」
昭和初期、置屋約六百軒、芸妓大中小合わせて二千五百名 在籍していました。
名古屋では芸妓・半玉の間の中芸妓がいたそうです。 現在は二十名弱の芸者衆が活躍をしています。
以下 八十年後、平成の芸妓さん
叶みつさん、菊禰(きくね)さん
昭和初期と平成では芸妓さんの雰囲気も違いますな 京都高雄にて gop撮影