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参宮線は
伊勢神宮への参詣路線として建設(旧
参宮鉄道)され、1911年(明治四十四年)全線開業。宮川橋梁は1897年(明治三十年)に竣工したトラス式の架橋で、全長は458m。往復一本のみの蒸気機関車牽引 客821レは亀山を 7:21発、宮川橋梁至近駅の
山田上口には 8:54と早朝のため、撮影行には
10系寝台 急行「
紀伊」を利用することもあり。
紀伊 時刻表(1973)早朝のD51牽引 貨882レ 宮川橋梁 1973年7月8日(日曜日)
急行「紀伊」は東京 21:45発、名古屋まで「
銀河1号」を併結。名古屋で銀河(大阪行き)分離のため15分停車。紀伊は進行方向を変え関西線へ入り、亀山で二度目の進行方向変更、紀勢線へと入る。参宮線には
多気で乗り換え(6:03着)宮川、又は山田上口で下車。
以下、1973年8月6日(日曜日)急行寝台「紀伊」での撮影行(撮影ノートより)
友人と深夜タクシーで名古屋駅へ(2:45)切符販売前なので入場券で入る。紀伊は名古屋 3:35着 3:50発。取り敢えず入場券で乗車し、車掌から亀山までの急行券と寝台券を購入(1,100円)寝れない寝台に潜り込み亀山 5:05着。駅構内で撮影後、参宮線普通に乗って約一時間、宮川 7:00着、宮川橋梁まで歩き 9時前 客821レ(C57 110)を撮影。その後 山田上口から乗車 伊勢機関区へ(外宮前で昼食 カレー250円^^)機関区撮影後 14時亀山へ戻り、折返し客826レを撮影、関西線普通(15:39発)で名古屋に帰り(17:17着)21時過ぎまで友人宅で談笑したらしい。夏休みの長い1日だった様。
この急行「紀伊 銀河」は 1975年3月15日のダイヤ改正で廃止(東京発着 最後の寝台急行)特急(14系ブルトレ)に格上げされ「いなば」と併結「紀伊 いなば」となるが、名古屋分離と亀山経由は継続、その二箇所で進行方向を変え、東京発着の寝台では最短運行距離ながら EF65>DD51>DF50 と機関車三種類を付け替え。
その後、1978年10月2日改正で「いなば」は「出雲」に改称されるが「紀伊」は変わらず。ただ亀山機関区のDF50は1980年全廃されたため、DD51に変更され廃止まで続く。
第五作「寝台特急 紀伊 殺人行」14号車に消えた美女 1984年2月11日放送 寝台特急「紀伊 出雲3号」は 東京〜名古屋を EF65 1000番台が牽引、名古屋で両車を分離。主役の「紀伊」は DD51が牽引し亀山経由〜紀伊勝浦を走る。ドラマはその名古屋と亀山で進行方向が変わる所が謎解決の糸口。25歳の奈々ちゃんが可愛い。 ただし「紀伊 出雲3号」は放送十日前、1984年2月1日ダイヤ改正で廃止(記念ドラマ?)参宮線の蒸気機関車運行も五十年前の今日 1973年9月30日が最終日。