Porsche 911S (1970)
...
1970年12月 名古屋吹上ホールにて KonicaC35 Hexanon38mm F2.8
以下、CG1972-09巻末 三和自動車広告より 古いCG読者には有名な一文
----------------------------------------------------------------------------------------------------------
1965年7月のある昼ざかり 目黒の仲根町にあった三和自動車の前にタクシーが止まり中年の男性二人と小学生らしい男の子が、ここらしいぞと言う感じで降りて来た
ショウウインドウ越しに中の車を確かめてから、一人がドアをあけてたずねた
「こちらがサンワ自動車さんですか」
たまたまショウルームに居合わせたのは、既に何回もこの物語に登場しているベテランセールスマンのO氏である「はい、ミツワ自動車でございますが」
「恐れいりますが、ちょっと車を見せて頂けないでしょうか」 訪問者は丁重に言った
「どうぞどうぞ、ご遠慮なく」 O氏は笑顔で三人を招き入れた
三和の社員達には”カミナリ親父で鳴る”彼は昔気質の礼儀正しさには弱いのである
ポルシェをお求めになるお客さまではなさそうだったが、さっそく説明を買って出た
「ほら、これがその車だよ ポルシェだよ」 父親らしい一人が言った
そこにあったのは、発売したばかりの 911である 少年は眼を輝かし、大人二人も同じくらい熱心であった O氏のひとくさりもひときわ熱がはいった
「どうもありがとうございました、素晴らしい車ですね」
しばらくののち、一人が言った 「一度現物を見たかったのです」「実は先日、この車に追い越されてびっくりしたものですから...」
O氏は機嫌よくあいづちをうった 「ほほう、ま、こいつは速いですからね」
「確かに速い!」 相手は改めて感に堪えたように続けた 「私の電車を抜けるのですから」
「電車をですか?あなたの?」 けげんな顔をするO氏に彼はぼつりと答えた
「 ......ええ、私たちは運転士をしてます。新幹線の」
こんど仰天したのはO氏のほうであった
それから2日ほどのち。東京に続いて名古屋・大阪と巡回して、新しいポルシェ911と912の発表会を行ってきた 三和の社員三人が本社へ帰ってきたとたんO氏の強烈な落雷が彼らを見舞った
「こともあろうに超特急を!何ということだ!立場を考えたまえ!」
こはいかに、天のみぞ知ると思っていた違反が露見し、三人もまた驚き慌てた
以下、しょげかえった彼らの告白によれば「名神高速道路には我々の911と912の他に車の姿は無く」しばらく走るうちに新幹線と並行する場所にさし掛り、「ちょうど超特急が走っていた」ので、思わずアクセルに力が入り「暫く並んでから」まだまだスピードメーターにもタコメーターにも余裕があったので「つい、追い越してしまいました」と言うのである
しかも 911のみならず、カタログ・データでは最高巡航速度185kmの912までが追い抜いてしまったのだから「ポルシェの性能には全く”うそ”がないなと実感させられ」はした物の「もうこりごりです、悪い事はできない」と言うハメにもなったのである
かつてベントレーはブルートレーンに勝ち、近くはアルファロメオが急行セッテベロをうち負かしたが、この日本での非公式レースは勝者が厳重に処罰される結果となった
当事者3名は謹慎及び減棒を頂戴し、現在では最も模範的ドライバーとなり、改善の情いちじるしいので、7年前のこの事件をどうかお許し願いたいと思う
幸いなことに、O氏はその後このような話をついぞ聞かないと言う これはポルシェ・ドライバーのマナー正しいゆえで、彼の耳が遠くなったからでは決して無いのだ!
----------------------------------------------------------------------------------------------------------
当時これを読んで感動した私「ポルシェへの道」は既にここから始まっていた?
真偽の程は、CG誌 2001-04「自動車のミステリー」一人歩きした逸話 - Early days of Porsche in Japan に詳しい