武相荘(ぶあいそう)ガレージに掛かる絵 名前入り工具箱
以前ガレージだった場所には、英国留学中に乗り回していたベントリィとソアラ開発陣に寄贈したと言う、八十過ぎまで乗り回していた911の写真、その景色は今も変わらない
戦後の新憲法制定に深く関わり、東北電力会長として活躍した白洲次郎と美術評論家・随筆家として
読売文学賞二回受賞、町田市名誉市民第一号の白洲正子夫妻が能ヶ谷のこの地に農家を買い取り、
移住したのは昭和十七年(1942年)であった。
寄せ棟造りで東側妻面兜造りの重厚な茅葺き屋根の主屋とカキ、シラサキ等を配した広い庭のたたずまいは
多摩地域の養蚕農家の面影を今に伝える貴重な文化遺産である。
整型値四間取の間取や材料構造から見て十九世紀以降のもので、明治初期の建築と推定出来る。
養蚕農家として明治・大正・昭和と使われて来た「家屋敷」が原型に近い形で今日に残されたのは古い民家に
限りない価値をを見出した、白洲夫妻の独特なライフスタイルの賜物であろう。
冠せられた武相荘と言う愛称も、古い民家に備わる静穏な美に寄せる、夫妻の慎み深い敬称と読み取れる。
(説明案内板より)
参考サイト
白洲退蔵 文平 次郎
http://www.nogami.gr.jp/rekisi/sandanorekisi/24_sirasu/sirasu.html
インターネットミュージアム
http://www.museum.or.jp/IM/report/museum_topics/weekly/w20060112.html#00
白洲次郎 Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E6%B4%B2%E6%AC%A1%E9%83%8E