軽井沢にて
- 117coupe
軽井沢にて
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いろは坂 駐車場 日光近辺? N.Y.号 M号
浅間 白根ルート 鬼押ハイウエイ? http://www.princehotels.co.jp/amuse/asama-shirane/index.html
軽井沢民宿前 Kanican号
軽井沢レイクニュータウン Kanican号
復路 たぶん中央高速 M号 1982.5.2-4
日光軽井沢ツーリングに参加して 会員No.30 N.Y.
Kanican氏に頼まれ、普段より文章の書く機会の無い私は困ってしまったが、会員中書いていないのは私位と聞かされ、やむなく今回のツーリングについての感想等々書いてみます。
このイベントをM氏より聞かされ日光の宿の手配を行った訳だが、現地へ行って確認しておけば良かったのだった。予約金を送る時、パンフレット等を依頼しておいたのだが、返って来たのは一通の手紙だけ。「しまった、変な民宿に頼んでしまった」と思っても後の祭り。結果は案の定、ボロ建屋の上に料理は酷いし、お酒は高いし皆さんには疲れて日光まで来たのにすいませんでした。幸い翌日晴れたのがせめてもの救いであった。私は熊谷に住んでいるので、今回のツーリング集合時間までにそんな時間は掛らなかった。それでも混雑を予想し、2時間前には家を出たのだが。
Yさんの計らいで、途中よりYさんのお姉さんが私の車に同乗してくれる。今回のツーリングに参加する為、カセットを25本位用意しずっと聞いていたが、やはり一人より二人の方が話し相手が居るという事でずっと良い。私も早く同乗してくれる人を見つけないといけないのだが、誰かいないか!お姉さんとは色々親しく話しが出き、お礼を言いたい。一人の女性の行き方みたいなものを話しの中に見つける事が出き、私にとって楽しくもあり、又有意義なひと時であった。
日光から軽井沢へ向かうまで、渋滞も無く快適に走っていたのだが、軽井沢を前にして浅間山での渋滞には参ってしまった。あの時はバイクが羨ましく思えてしょうがなかった。軽井沢の夜は民宿の人の計らいで、以前母屋に使っていた家を丸々一件借り切る事が出き最高であったが、夕食後部屋で飲んだビールに腹が一杯になってしまい、苦しくなった事を思い出す。
ここで私の117について少し書いてみます。私の117は48年式XCで、当時中古屋で90万位で35,000km走行だったと思う。2〜3台を乗り換えてきた私は、117で最後にしようと思ったものだった。今もその気持ちは変わって無く壊れるまで乗って行こうと思う。
車は当時のまま全然手を加えず、いわゆるノーマルのままである。会員の皆さんの殆どはパワーアップ、強化サス、アルミホイール等取付けて楽しんでいる様で、私も手を加えたいのですが、さほどの知識も無く、今の状態でも不満はありませんので良いと思ってます。今になってみると買った時のエンジン音が全然大きくなっていない事に気付き、完成された車なのだと改めて思う。
仕事上他社メーカーの車を乗る機会があるのだが、決まって10万キロ以上走るとエンジン音が大きくなったりする。恐らくいすゞは戦前からの歴史ある会社で、そんな所が車作りに生かされているのかもしれない。最も最近の車に生かされているかどうかは疑問だが。
そんな訳で、私は古い物の方がしっかりとした作りで良い物が沢山あるのだなと思う様になった。現在オートバイの「陸王」を買い、修理をお願いしているのもそんな所にあるのかもしれない。
話しが逸れてしまったのでここらで止めておきます。最後に、こうして皆さんと行動している事が実に楽しいものであった事を付け加えておきます。会員の皆さん、車と命は大切に、ゆっくり走りましょう。
1982.5.26記
このレポートを書かれたN.Y.さん、惜しくも若くして天に召された
無念ながら、きっとあちらでもノーマル117を乗られているに違いない、と 合掌