- 117coupe
...
1965年11月 スパイダー トリノショー出品(ピニンファリーナ)
9月 ジュージャーロ御大 ベルトーネ退社
1966年11月 トリノショー出品 https://b-cles.jp/car/fiat_dino.html
9月 ジュージャーロ御大 ベルトーネ退社
1966年11月 トリノショー出品 https://b-cles.jp/car/fiat_dino.html
1965年9月 ジュージャーロ御大 ギア入社
10月 御大デザイン二案(サーベル付き・以下ディーノ風レンダ)いすゞに提出
1966年3月 ジュネーブショー出品(プロト1号)いすゞ、量産検討に入る
https://images.driver-web.jp/articles/28000/28439/wysiwyg/th_117_02-1.jpg
10月 御大デザイン二案(サーベル付き・以下ディーノ風レンダ)いすゞに提出
1966年3月 ジュネーブショー出品(プロト1号)いすゞ、量産検討に入る
https://images.driver-web.jp/articles/28000/28439/wysiwyg/th_117_02-1.jpg
1966年6月 東京モーターショー用プロト(プロト2号)いすゞ、ギアに発注
10月 東京モーターショー出品(プロト2号)
https://www.webcg.net/articles/gallery/39574#image-10
10月 東京モーターショー出品(プロト2号)
https://www.webcg.net/articles/gallery/39574#image-10
これまでプロト1号から2号への御大修正デザインは存在せず、直接ギア工房で制作されショーモデル化されたと言われていたが、以下の様なレンダリングが。
1966年7月 御大レンダ、デザイン展開(制作時期が117プロト2号と重なる)
11月 トリノショー出品(ディーノクーペも同年トリノショーでデビュー)
11月 トリノショー出品(ディーノクーペも同年トリノショーでデビュー)
考 察:117プロト1号から2号へのデザイン変更は主にフロント部、フェンダー先端を逆スラント形状に変更した点だが、上記パンペロレンダのフェンダー・グリルデザイン展開案は殆ど量産117に近く(偶然と思われるが、HMより量産丸目に近い)特にディーノクーペには無いグリル下部ヘッドライトの切欠きが117を想起させる(ジュリアスプリントから始まったヘッドライト下部の切欠きは、後の初代パサート、ゴルフにも引き継がれる)
ex.第19回 東京モーターショー(1972.10)117クルーザー展示(量産ベースワゴン)
切欠き無し レンダ ショーモデルとほぼ同じ https://supercarnostalgia.com/blog/de-tomaso-pampero
仮説:これまでディーノクーペが量産117(プロト2号〜3号)のベースと言われて来たが、両車には少なくとも一年の時間差があり、ボディサイズも異なる(ディーノは一回り大きい)それに対し117プロト2号の修正デザイン作業と、パンペロのデザイン作業は同時期で(1966年6〜7月)ボディサイズも殆ど同じ(全長3.97m 全幅1.63m)並行してレンダリングが描かれた可能性は非常に高い。パンペロデザイン展開の中に、117プロト2号の修正デザイン案が幾つかあったとしても不思議では無い(少なくとも御大の頭の中にはあった筈)
さて、真実は如何に・・
参考: 幸運がもたらした作品 https://www.webcg.net/articles/-/39574?page=2
117クーペの真実 その壱 https://987.blog.ss-blog.jp/2020-03-26
注:レンダはネット上から拾っています。