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飯田線 ED19 1-6 [電気機関車]

ED195.jpg
国鉄ED19形電気機関車 ED19 5 田切 - 伊那福岡(1292レ) 

...

19-12.jpgED19 4 伊那松島機関区

19-2.jpg19-4.jpg
ED19 3 伊那大島 - 上片桐(276レ)    ED19 1 田切 - 伊那福岡(277レ)

19-10.jpg19-3.jpg
ED19 6 飯田駅構内(8275レ)         ED19 2 伊那福岡駅構内(単279レ)

1925年(大正14年)東海道本線電化区間(東京 - 国府津)用にED53形として6両を製造
機械部分:Baldwin Locomotive社製 電気系統:Westinghouse Electric社製 

1937年(昭和12年) ED19形に改称 仙山線に転属(ED191-4)  
1941年(昭和16年) 身延線に転属(ED195, 6)
1944年(昭和19年) 西国立機関支区に転属(ED191-4)南武線貨物に使用
1960年(昭和35年) 飯田線伊那松島機関区に転属(6両全車)
1976年(昭和51年) 代替機ED62形の投入に伴い全機廃車

以上、1号機から6号機まで全車撮影
小型機ながら迫力ある形態、一両一両細部が微妙に異なる魅力的な機関車だった

18.jpgED18 3(休車中)伊那松島機関区

1923年(大正12年) 東海道本線旅客用 ED52形3号機として英国電気にて製造
1932年(昭和7年)     中央本線に転属(歯車比増大)ED18 3と改称
1953年(昭和28年) 飯田線(北部地区)に転属(軸重軽減改造)
1975年(昭和50年) 廃車

1974.8.8 撮影

ネコ・パブリッシング笹本健次CEOはS30Zで撮りに行かれた由
http://www.hobidas.com/blog/sasamoto/archives/2007/09/post_402.html

国鉄ED53形電気機関車 Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%89%84ED53%E5%BD%A2%E9%9B%BB%E6%B0%97%E6%A9%9F%E9%96%A2%E8%BB%8A


コメント(26) 
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コメント 26

manamana

正面の扉、まさか壊れたわけではないでしょうが、
開けっ放しなのが、ワイルドでいいですね。
渋みがあってほんとにいいお顔の機関車です。
by manamana (2009-10-01 06:48) 

akira isida

濃い写真ですね
なんちゃっ鉄の私にはついていけないかも(笑)

by akira isida (2009-10-01 07:59) 

ナツパパ

均整のとれた良いデザインの電気機関車でしたね。
大きなEF機にはない好ましさが、私鉄好きのわたしには好ましいものでした。
ED系の電気機関車は、西武鉄道に様々残っていて、あれを見るのも
好きでしたねえ。
写真、ホント懐かしく拝見しました。
by ナツパパ (2009-10-01 09:08) 

gop

> manamanaさん
伊那山中とは言え、真夏クーラーの無い旧型電気は辛かったでしょう。
本来デッキドアも開放は規則違反と思うのですけど。

by gop (2009-10-01 22:41) 

gop

> isidaさん
1974年(昭和49年)と言えば、蒸気機関車が無くなった時期。
この頃は未だ未だ鉄分多かった(中坊でした)こんな写真一杯あります。
で、色気が増えてくるにつれ、次第に鉄分は減って行くと(^^

by gop (2009-10-01 22:42) 

gop

>ナツパパさん
伊那にはEnglish ElectricのED18も居ましたが、私はED19が好きでした。
原形に近い1号機は、伊那松島の郷土博物館に保存されている様で。
http://c5557.kiteki.jp/html/ED191.htm

飯田線南部ではEF10が貨物を引いてました。この1次型も良かったですね。

by gop (2009-10-01 22:42) 

うんつく

本日はご多忙中お付き合い賜り誠に有難うございました。
 特にあのお店は「アダルトチックぅぅ」って感じでお願いだからガキは来ないでねって感じです。
 さて先程も話題に上りましたが毎度の事ながら写真とデータが一致して保存されてるってのは凄いと思うです。
 シャッターを切るのは簡単ですが写真趣味ってのは或種整理の上手さでは無いかと?
 ただEDのなんちゃらと言われてもコテッチャンの私には何の事やら??
 お勧めに従い養老饂飩も谷汲温泉も諦めて飯田線でノリテツして参りましょうかね? 
by うんつく (2009-10-01 23:36) 

gop

> うんつくさん
こちらこそ有り難うございました。
整理整頓は何時も親から言われてたので、少しは身に付いたかも。
モノを捨てられない人はマメにしないとね(^^

> ただEDのなんちゃらと言われても
別のEDにならない様頑張りましょう(^^
飯田線混浴情報、明後日アップしますので参考にして下さい(笑)
では道中お気をつけて〜。

by gop (2009-10-02 05:24) 

スギメチャ

まったく関係ありませんがカリーナEDってのもありましたね。
初期型はカッコよくて大ヒットしました。
近所にまだ現役車も居ます。
カリーナのEDは「エキサイティング・ドレッシィ」ですって。
別のEDとは違ってて良かった?(爆)
by スギメチャ (2009-10-02 06:47) 

jamayan

ちょっと前からなんですが、↓こんな番組見てたりします。^^;
http://www.nhk.or.jp/syumiyuuyuu/local_trip.html
昨夜なんか何を言ってるのやらサッパリ?なんですが(汗)
写真家の方の写真とソックリでビックリ!^^;

by jamayan (2009-10-02 18:27) 

gop

> スギメチャさん
そう来ると思ってました、EDはええで〜(^^
緑色に怪しく光るリアのEDエンブレム。バブリ〜な時代でしたねぇ。
廃れたと思ったらメルセデスが真似してくるとは。判らんもんです。

by gop (2009-10-02 20:42) 

gop

> jamayanさん
ここまで鉄道趣味が認知される時代が来るとは、正に隔世の感有り。
鉄子さんは益々増殖している様ですし、
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090905-00000001-jct-soci
ブログも沢山、
https://railroad.blogmura.com/railroad_ladies/
プロカメライターの矢野直美さんは可愛いです(^^
http://www.bepal.net/e_tetsuko/index.html

by gop (2009-10-02 20:43) 

Capitano

> 1925年(大正14年)
> 東海道本線電化区間(東京 - 国府津)用にED53形として6両を製造

ED53の製造は1926年。

ED53 1,2 1926.9
ED53 3,4 1926.10
ED53 5,6 1926.11

> 1937年(昭和12年) ED19形に改称 仙山線に転属(ED191-4)  

ED19 1の改称は1938年。

> 1976年(昭和51年) 代替機ED62形の投入に伴い全機廃車

ED19 1の廃車は1975年9月。
ED19 4の廃車は1975年11月。
by Capitano (2009-10-02 21:21) 

gop

> Capitanoさん
詳しく有り難うございます〜、すいません先を急いでるもんで。
ついでに六両夫々の相違点お教え頂けると幸い(^^

by gop (2009-10-02 21:29) 

Capitano

> まったく関係ありませんがカリーナEDってのもありましたね。
> 初期型はカッコよくて大ヒットしました。

屋根が低くて室内は圧迫感はあるし、リヤシートは狭いしでカッコだけのヒデー車でした。
4ドアの癖にリヤシートがピアッツァより狭いのは呆れましたね。

by Capitano (2009-10-02 21:33) 

Capitano

> ついでに六両夫々の相違点お教え頂けると幸い(^^

ED19 1
前面車体窓が大窓のまま。
車体四隅に縦樋追加。
区名札挿の横に乗務員名札挿あり。(お召し機の名残)
側窓の周囲に真鍮装飾。(お召し機の名残)
前照燈が前方張出し。

ED19 2
前面車体窓が大窓のまま。
区名札挿の横に乗務員名札挿あり。(お召し機の名残)
側窓の周囲に真鍮装飾。(お召し機の名残)
前照燈が前方張出し。

ED19 3
前面車体窓小窓。
前照燈の前方張出し無し。

ED19 4
前面車体窓小窓。
前照燈が前方張出し。

ED19 5
車体外板を全面更新しており溶接車体。
前面車体窓小窓。
側窓と車体側面の通風口が近代的な形。
ガーランドベンチレータが1個。
屋根の補強リブが少ない。
前照燈の前方張出し無し。

ED19 6
前面車体窓小窓。
側面通風口が原形のまま。(遅れて改造された為)
デッキのステップが原形のまま。(仙山線に投入されなかった為)
前照燈の前方張出し無し。

by Capitano (2009-10-02 22:38) 

のり

私の飯田線の旅と、年代こそ違え全く日付が同じというのは、本当に奇遇ですね。
偉大なるローカル線「飯田線」の旅、本当に素敵な想い出です。
by のり (2009-10-02 22:58) 

gop

> Capitanoさん
御手数お掛けしました(こんなの掛けたうちに入らないって(^^;?)
1,2号機はお召しを引いた関係でオリジナルを良く保ってました。
やっぱ旧型電気はリベットが似合いますねぇ。

セレス・マリノはさらに狭かったっけ。

by gop (2009-10-03 05:35) 

gop

> のりさん
8/8、暑い日だった事だけは覚えてます。
しかし子供の頃の一年差は大きかったですねぇ、中坊にはこれが精一杯。
ま、辛うじて見れただけでも良しとするべきでしょうけど。

by gop (2009-10-03 05:43) 

イノウエ

凄いですね。

鉄道写真の王道ですね。

とても濃いです。
by イノウエ (2009-10-03 20:49) 

gop

> イノウエさん
何処にでもありそうな写真でお恥ずかしい限り。
この頃は試行錯誤の連続で(先の記事で載せた多重露光とかしたり)
なかなかモノにはなりませんでしたねぇ、これ位が精一杯。
で、それが今まで尾を引いていると...

by gop (2009-10-05 05:10) 

Capitano

> 御手数お掛けしました(こんなの掛けたうちに入らないって(^^;?)

うん、掛けた内には入りませんな。

> 1,2号機はお召しを引いた関係でオリジナルを良く保ってました。

お召し機って、どの機関車でも面影が残ってますね。

> やっぱ旧型電気はリベットが似合いますねぇ。

似合いますけど、模型にするとリベットの表現は結構大変で、模型メーカーの考え所です。(大きくするとオーバー,小さくすると目立たない)
by Capitano (2009-10-10 20:48) 

Capitano

> 小型機ながら迫力ある形態、一両一両細部が微妙に異なる魅力的な機関車だった
六両しかないくせに、一両一両みな微妙に形態が異なるというのが何とも言えませんでした。

> 本来デッキドアも開放は規則違反と思うのですけど。
もちろんです。
ただ、デッキの貫通ドアってすきま風が入って来て、冬は猛烈に寒いそうです。
天賞堂記念列車に一緒に乗り合わせた、元ウテシのおっちゃんが熱く語ってました。
by Capitano (2009-10-10 20:56) 

gop

> Capitanoさん
全車両この目で見れて、違いが判る機関車なんてそうなかったですよ。
EF58とか数が多過ぎて、全車両見る事なんて殆ど不可能だった訳だし。
全てがこじんまりとしてましたが、魅力ある所でしたね>飯田線

で、天賞堂記念列車って、これですか?
http://seibuinfo.ojaru.jp/train/report/09.08.30/index.html
模型部創業60周年、って最近時計の方しか見てないし(笑)

by gop (2009-10-10 22:27) 

Capitano

> で、天賞堂記念列車って、これですか?
> http://seibuinfo.ojaru.jp/train/report/09.08.30/index.html

いえ、それでは無くってその前の前に走った記念列車です。
カシオペア牽引機のEF81に、ゆとりを連結した列車でした。
一模型店が専用編成組ませるんですからすごいものです。

> 模型部創業60周年、って最近時計の方しか見てないし(笑)

天賞堂模型部の伝統は下手な時計より重みがありますぞ。
by Capitano (2009-10-13 21:48) 

gop

> Capitanoさん
世の中下手な時計も数多いですけど。
天賞堂にはそんな時計は置いてないなぁ、恐るべし天賞堂。

by gop (2009-10-13 21:51) 

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